こんにちは、カッチャンです。
今回は、「岩波新書」にまつわるお話です。
高校の物理の先生
高校時代の物理の先生。
名前は忘れました。
1年間教わりましたが、授業の内容はまったく覚えてません。
物理は苦手だし、あまり興味もありませんでした。
ただ一つだけ鮮明に覚えていることがあります。
ある日、授業中の雑談の中で、先生は自分のかばんの中から本を4〜5冊取り出しました。
みんなに本を見せながら
これはみな岩波新書です。ぼくはこれまで出版された岩波新書をすべて読んでます。毎月4〜5冊刊行されるので、全部買う。岩波新書を読めばあらゆる分野の知識が身につき、他の本は読む必要が無い。岩波新書は読みやすいし面白いよ。
そのようなことを話してくれました。
しかし、その後は先生の岩波新書のお話はほとんど忘れてました。
ご近所に住む大学教授
わたしが結婚し、子供ができてから移り住んだ中古マンション。
そのマンションの管理組合の理事長は、ある大学の先生をしている方でした。
わたしも順番で管理組合の役員をしていたある日のことです。
管理組合の用事があって、その理事長の部屋をお邪魔しました。
3LDKの一部屋がその先生の書斎でした。
部屋に入ってビックリ。
部屋の出入りドアと窓以外、天井まで全部本棚。
その本棚にはズラッと岩波新書がならんでいました。
先生は
わたしのたった一つの趣味が読書。なかでも岩波新書はほぼ全巻揃っている。教養を身につけるため、岩波新書は新刊が出ると全部買って読むようにしている。ジャンルは問わない。
と言ってました。
たしかに大きな本屋でもこれだけ岩波新書は揃ってないでしょう。
それだけ壮観でした。
わたしは、先生の書斎を見て、「本に囲まれたこんな書斎がほしい」と思うとともに、何故かその時高校の物理の先生を思い出していました。
その後の読書
そんな体験をして以来、私の読書傾向は変わりました。
どちらかといえばそれまでは、気晴らしに推理小説を読むことが多かったのですが、少しでも興味を引く岩波新書をあえて手にとるようになったのです。
そんな時出会ったのが、梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)でした。
この本と、同時期に読んだ渡部昇一著「知的生活の方法」(講談社現代新書)は、その後のわたしに大きな影響を与えました。
「知的生活」と「書斎」に憧れるようになったのです。
泣く泣く断捨離
40代の半ばころ、岩波新書や他の書籍もかなりたまってきました。
一つだけあった本棚に入りきらない本は、段ボールの中にしまっていましたが、それが狭いマンションのスペースを圧迫してきました。
また、そのころ、事情があってまたマンションに引っ越すことになり、スペースの関係で大量の本を処分せざるを得なくなってきたのです。
読みたくなった本があればまた買えばいいや、と決断し、何箱もの段ボールに詰めた本を泣く泣く古本屋に売却しました。
自炊にハマる
一からの出直し、再スタートです。
引っ越してから、また少しずつ本が溜まっていきました。
その後子供も家を出て独立し、定年間近にやっと書斎が持てたのですが、
狭い書斎で、足の踏み場もなくなるのであれば、もっとスッキリしたい
自炊して、自炊したあとの本は処分しよう
と、これまた大量の本を処分しました。
若いころからの夢
岩波新書で書斎の本棚を埋め尽くしたい
という気持ちも徐々に薄れ、現実的になってきたのかもしれません。
まとめ
自炊にハマった時期を過ぎ、最近では自炊という行為自体が面倒くさくなってきました。
したがって、また本が少しずつたまり始めています。
今でも時々は岩波新書の新刊本を買ったりします。
わたしがなぜ岩波新書にこだわったのか?
それは手に持った感じが好きだったからで、特に内容ではないんです。
表紙はそれほど硬くはなく、また大きさも文庫本よりスリムで、私が片手で持つとなんとなく手にフィットする気がするのです。
最近ようやくわかりました。
わたしは「岩波新書」が好きなのではなく「新書」が好きだったんだ。